インタビュー
『統合的迅速臨床研究』の推進に向けた新たな技術 〜人こそ研究の要〜(1) -全2回-
井村 裕夫 氏
インタビュアー:本間 美和子(iPS Trend 監修)、佐藤 勝昭、森本 茂雄(科学技術振興機構)

井村 裕夫 氏
今回は、「統合的迅速臨床研究」の提唱者で元京都大学総長、現先端医療振興財団理事長の井村裕夫先生にお話を伺った。
このインタビューで井村先生には、我が国発のiPS研究について、疾患メカニズムの解明による「臨床医学分野の発展」、医療を受ける側から見た「医療の質の向上」、それらを実効する「施策」、という多様な観点からお話いただいた。
(解説「統合的迅速臨床研究」について)
【井村先生ご略歴】
1954年京都大学医学部医学科卒業、62年京都大学大学院医学研究科博士課程修了、京都大学医学部附属病院助手、65年京都大学医学部講師、71年神戸大学医学部教授、77年京都大学医学部教授、89年京都大学医学部長、91年〜97年京都大学総長、97年京都大学名誉教授、98年神戸市立中央市民病院長、科学技術会議議員、2001年総合科学技術会議議員、2004年から先端医療振興財団理事長。稲盛財団会長、科学技術振興機構(JST)顧問、科学技術振興機構(JST)・研究開発戦略センター首席フェロー。日本学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員 専門領域は内分泌学。
聞き手:
JSTではiPSトレンドという一般向けサイトを立ち上げておりますので、最近のiPS細胞を取り巻く周辺の研究動向などを中心に先生にお話を伺い、若手研究者や一般の方々へのメッセージをいただきたく存じます。
先日はインタビューの1回目として江口吾朗先生のお話を伺ったのですが、なぜ体細胞の初期化が起きるのかという基礎的な研究が重要で、併せて臨床応用の視点も必要だということでした。

井村 裕夫 氏
(絵:佐藤 勝昭)
井村:
私は臨床の立場からお話ししましょう。
ここ10年あまりの間、再生医療が急速に話題になってきました。
その理由としては、人間の多くの臓器はいったん失われると再生することはありませんので、神経細胞、心筋細胞、膵臓のベータ細胞・・これら重要な細胞を再生させるにはどうすればよいのか、その方法を見出すことが医療への応用という点で最も重要な課題であったわけです。
ES細胞(全能性を有する胚性幹細胞)を使って、臓器を再生しようという試みが始まったのは今から18年前の1981年、ケンブリッジ大学のエバンス教授が、マウスES細胞を試験管内で培養することに成功して以来です。
1998年には、ウイスコンシン大学トムソン教授が、ヒトES細胞株を樹立しました。ほんの10年少し前のことです。これを用いれば、個体を構成する全ての組織細胞へ分化させることが可能になるであろうと、再生医療へ期待が集まりました。
しかしご存知のように、ES細胞には倫理問題が立ちはだかりました。それは、本来ならヒトに育ちうる受精卵を使うということで、ローマ法王、米国ブッシュ大統領が反対を表明しました。
ES細胞には、もう一つの問題がありました。免疫学的にみると、他人の受精卵に由来する細胞を使うわけですから、移植の際には拒絶反応が起きると考えられます。
このため、ES細胞の臨床治療への応用は大きな壁を前にして大幅に遅れたため、最近になってようやく、脊髄損傷の治験を始める認可が下りたという状況です。
拒絶反応を避ける方法については、いろいろな実験的な試みが行われました。
その典型的な例としては、患者の体細胞の核を、核を除いた未受精卵に移植する「核移植胚」の研究が世界中で行われたのですが、ことごとく失敗しました。その一例が、韓国のファンウソク教授による論文ねつ造問題です。
歴史的なiPS 誕生
これに対して、「分化した細胞を未分化な状態に戻す(初期化する)ことができるかもしれない」と、当時誰も考えもしなかった発想を持って果敢にチャレンジしたのが、京都大学・山中伸弥教授です。
2006年、山中先生はマウス体細胞からES細胞と類似したiPS(多能性幹細胞)を作成することに成功し、世界中でセンセーショナルに報道されました。
2007年には、山中先生、トムソン先生、バイエルが、同時にヒトiPS細胞の作成に成功しました。核移植法が実験的にも倫理面でも難航している中でしたので、iPS細胞への期待が非常に高まったのです。
しかし、この方法には問題がありました。4種の遺伝子を導入するベクターとしてレトロウィルスを使うのですが、ウィルスがゲノムに組み込まれることで、「がん化」を起こす危険性があるのです。(iPS細胞物語 第8回 iPS細胞の課題1)
はじめに山中先生は増殖関連遺伝子であるc-Mycを4因子から除きました。これによって癌原性は減りました。しかし、レトロウィルスを使う限り、染色体に組み込まれてしまうため、ヒトでの安全性は担保できないのです。
例えば、ADA欠損症にレトロウィルスベクターを用いて遺伝子治療に奏功したフランスの研究グループが、その方法では白血病を発症させる場合があることを報じています。
次に山中先生は、より安全な遺伝子導入法としてプラスミドを用いたのですが、実際は非常に低頻度ではありますがゲノムに組み込まれる可能性が否定できません。
最近、タンパク質そのものを用いて体細胞へ導入することに成功したという論文が報じられましたね(iPS Trend 研究開発トピックス)。
聞き手:
4つの因子すべてに9個の塩基性アミノ酸(アルギニン)を付加するというCell Stem Cellに載った論文ですね。
井村:
また、ディナベックという日本のベンチャーが、遺伝子導入にセンダイウィルスを使う方法では細胞ゲノムに外来遺伝子は挿入されないので、「ゲノムに組み込まれない安全な方法」であると提案しています(iPS Trend ニュース)。
このように、細胞初期化の方法には2つのポイントがあります。1つは「安全性を担保する」ということ。2つめは「初期化細胞を、目的とする細胞に分化させる」ことです。比較的分化しやすいのは神経細胞ですが、その一方で、肝細胞や膵臓β細胞については未だ完全には成功していません。
さらに、分化に成功した細胞集団から、未分化なままの初期化細胞を除去しないと、増殖性が高いために奇形腫を生じます。(この性質を利用して、ES細胞の研究では奇形腫を作らせることで元の細胞は未分化なES細胞であった事を確認しています。)
聞き手:
未分化幹細胞はどれくらいの割合で残っているのですか。
井村:
未分化であることを証明するマーカーに適切なものがないので、それを正確に判断するのは難しいようです。
また、未分化幹細胞から心筋細胞などいろいろの細胞に分化させるには、さまざまな分化促進因子、例えばVEGF(血管内皮増殖因子)を培地に加えますし、feeder layerといって培養する時に敷く細胞も重要な働きをします。
聞き手:
分化を誘導する方法についても研究途上なのでしょうか?
井村:
ES細胞に関する研究の蓄積があったために、分化誘導の研究については非常に進んでいました。ESとiPSとでは、分化誘導の方法に大きな違いはないようですね。
聞き手:
一方、分化した体細胞を初期化するメカニズム(リプログラム)については解明されていないので、これからも基礎的な研究が必要なのでしょう。
井村:
確かに、iPS細胞がリプログラムされるメカニズムについては現在少しずつ研究が進んでいますが、まだ良くわかっていません。
また、どの程度リプログラミングされるのか、詳細はまだ不明ですね。
それからリプログラミングの効率を高める技術の開発は必要です。これには科学研究と技術開発の両方が絡んできます。それを克服できれば意外に早く臨床への応用に進むかもしれません。
聞き手:
iPS細胞には倫理面での問題は全くないのでしょうか。
井村:
日本では、生殖細胞(精子と卵子)をiPS細胞から分化誘導し、人工的に受精させることは、クローン禁止法で禁止されています。しかし、それ以外の点では倫理的な問題はまったくありません。
したがって、新たな技術を生み出すことで倫理面の問題を克服した山中先生は、ローマ法王にもブッシュ大統領にも感銘を与え、直接招かれて話をしているのですね(iPS Trend ニュース、研究開発トピックス)。
(2)へ続く

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